自然保護指導員研修会

自然保護指導員研修会

第8回 自然保護指導員研修会

1月21日午後、国立オリンピック記念青少年総合センターにおいて、関東地区から60名が参加して第8回自然保護指導員研修会を開催したので概要を以下に報告する。
冒頭、岡田博之都岳連自然保護委員長から主管者挨拶があり、次いで、松隈豊委員長から主催者挨拶を兼ね自然保護指導員制度のしくみについて説明を行った。そのあと、埼玉、千葉、東京、神奈川から自然保護活動の状況報告を、そして基調講演として、「人と森のかかわり」演題に、ジャーナリストの米倉 久邦氏から講演が1時間ほど行われた。講演の概要は次の通り。
 
(講演の要約)
森は人とって無くてはならないものであって、それによって生きて、それによって繁栄してきもの。森とは切っても切れない歴史を歩んできた。古代、メソポタミアやクレタなど森を無くしては成立しなかった文明といえよう。そして、森を破壊し尽くして、森の消滅とともにそれらの文明が消滅してしまった。すなわち、人類の栄枯盛衰は森とともにあった訳で、現在もこのようなことが起きている。日本も例外ではなく、森を破壊し尽くした歴史もあり、一方で失った森を再生する努力もありました。その「日本の森と破壊」例として、田上山(たなかみやま、標高約600m)、足尾銅山(栃木県上都賀郡)、襟裳岬(北海道)を紹介から始める。
まず、田上山は、琵琶湖の南に位置するこの山は、嘗て緑で覆われていた山塊であったが、古代日本の藤原京造営やその後の平城京遷都や寺院の造営などに桧を数万本伐採して用いたとされ、そのことで花崗岩質の山肌が露出し、年を経て風化した真砂土(砂質土状に変質した花崗岩)が雨の降る度に流出し、流域河川の洪水を頻発させた。江戸時代から現在に至るまで、砂防ダムの設置や植林などによる治山・治水工事がすすめられ、巨額の経費と人々の懸命な努力によって次第に緑が回復してきている。
足尾銅山は、日本の近代化に貢献し、銅鉱業で繁栄した。一方、銅精錬で排出する亜硫酸ガスの煙害や鉱滓の水質汚染に加え、精錬炉の燃料としての木材供給の森林伐採によって、森や林床の植生を衰退させ荒廃地を出現させ、裸地化した斜面では降雨のたびに大量の土砂が流出し、洪水を起こし下流域へ災害を招いた。精錬方法の改善により煙害がなくなった昭和31年から本格的な緑化事業が着手され、「植生盤」と呼ばれる独特の植栽方法が採用され、緑化が大きく進展した。ボランティア団体による治山施工地への植樹活動が盛んに行われている。
襟裳岬はかっては、柏の木を主体とする広葉樹で覆われていたが、明治時代以降に燃料として過抜が行われ、岬に特有の強風に晒されて、火山灰の堆積した赤土の見えるハゲ山となった。砂漠化した大地の様子から「襟裳砂漠」と呼ばれる荒廃を招いた。さらに、海草類や回遊魚等の水産業が衰退するに至った。昭和28年に緑化事業が始められたものの、強風によって困難を極めた。そして試行錯誤を重ね雑海藻(ゴタ)で苗床を覆う植栽方法を得て、緑化事業開始から50年ほどを経て百人浜のクロマツ林の緑に覆われる山々を目に出来るようになった。
以上の三例のほか、自然破壊が日本の方此方で起きているだろうし、嘗て起きたわけです。それを元に戻すと言う大変な努力をしてきたのも人間、壊したのも人間。自然破壊とは一体何であったるのかを考えるには格好の材料である。こうした破壊と再生は、全てそれなりのニーズがあって、人々が生きていくために行われたことで、その「つけ」が回ってきて、大災害が繰り返され、自然破壊が齎す厄災であった。
視点を変え、森の状況を紹介する。日本の森林面積は2500万ヘクタール、国土面積の7割弱、森林率では67.7%。つまり、日本森林は世界の先進国ではずば抜けて高い。フィンランド、ノルウェイに次いで世界3位で、日本は大変な森林資源を誇る国である。森林面積のうち、人工林が4割でスギ、ヒノキ、カラマツの針葉樹が占めている。それは、第2次世界大戦中や戦争直後の大量の伐採を経て、昭和20 年代後半から造林が進められ、また高度成長期の拡大造林によって草地・原野や里山二次林が人工林に転換されたことによるもの。拡大造林の時期で一気に植えられた樹木が伐期齢を過ぎ放置されたままの森が殆んど。それは、1964年の木材輸入の自由化以降,わが国の木材輸入量は急増し,外材に依存する状況が定着したことから、現在の木材自給率は20%前後で、林業の低迷を招き、貴重な国家資産が有効に利用されずに過熟老齢林となって持ち腐れ状態に陥りつつある現実がある。また、シカの生息密度が著しく高い地域の森林においては、皮剥ぎ、枝葉や下層植生などへの食害が著しく進行しているといった環境問題も重なる。
ここで自然保護について、上高地の例を考えてみる。今はその面影がないが、かつて上高地は松本藩の主な財源の木材の産地であった。上高地は世界的のも珍しい勾配が0.7%の広大な高層台地であり、氷河期のころには湖であり、温暖化で決壊して今の姿が出現し、川の氾濫も繰り返し河畔に森林を形成した。観光地化される前までは林業が盛んに行われる場所であった。上高地を流れる梓川には、ダムや護岸壁ができて、洪水による氾濫が無くなった反面、氾濫によって再生を繰り返したカワラヤナギなどの植生や自然環境に与える影響は良好とは言えない。自然保護とはどうあるべきか、「あるがまま」とするのが自然保護なのかどうかを考えてほしい。
最後に、屋久スギや立山スギの森、巨木があっても維持し続ける森林のことを例にして、森は木を切って、更新を行うことが必要で、過熟老齢を放置すれば森は衰退して消滅する。巨木の森でも行われてきたものでるが、切り株に定着した種子は、芽生えた後、下草などによる日照不足を緩和でき、また倒木自身が養分の供給元となって樹木に育ち、森の更新が繰り返される。要は「森は、人の関わりこそが重要で、前向きにどうかかわるべきかを認識するべき」と結んだ。(文責 自然

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